先日、叔父が亡くなりました。
叔父は生前、事業に失敗した後、お金の苦労が絶えなかったようです。
また、お酒をたくさん飲んで病気にもなっていたのに、お酒がやめられなくて家族を困らせていました。
そして、義理人情が厚く、押しが強い人で、時に対応するのが面倒だと感じていました。
そんな叔父が、まだ私が子どもだった頃から、私と会った時にはいつも、「圭子、幸せか?」と聞くのです。
私は「嫌だなぁ、面倒だなぁ」と思いながら、よく苦笑いをしていました。
叔父の葬式のあと、初めてそんな叔父の心がわかった経験をしました。
✳︎✳︎言葉を超えた愛を受けとる✳︎✳︎
私は葬式の後、用事で出かけるために電車に乗っていました。
その時、叔父の「幸せか?」という言葉を思い出しました。
今まで聞き流して、適当に対応してきたその言葉。
幸せだとはちっとも思えないような状況でも問われて、何とも言えない気持ちになったその言葉。
私はようやく、この言葉を本当に受けとりたいと思うことができました。
「私にはわかりません。どうぞ教えてください」
ホーリースピリットと一緒に、叔父の問いかけの言葉の心に耳を澄ましました。
肉体を離れた叔父の心は、どこにでも在るようで、いつも私に微笑みかけているように感じました。
そして本当は、これまでもずっとそうであったということも、感覚として即座にわかりました。
ずっと共にあったのです。
私が必死で、叔父と私は違う、違っていて欲しい、としていただけでした。
そんな心の状態で、改めて問われたその言葉は、まったく違う意味でした。
「圭子、幸せか?」
物ごとが私の思い通りになること、嫌な思いや辛い思いをしなくなることが幸せだと勘違いしていた私には、理解できなかった意味でした。
そして、その本当の意味を受けとった私は、叔父からの深い愛に包まれました。
ずっと愛されていたことを知りました。
人目もはばからずに、電車の中で号泣してしまいました。
今まで、本当に大きな勘違いをしていたことを叔父に謝りました。
✳︎✳︎幸せでいること✳︎✳︎
A Course in Miracles(奇跡のコース/奇跡講座)で教えられる「幸せでいること」は、ほんとうの自分を思い出していること、ほんとうのつながりを思い出し、平安でいることです。
そして幸せは、どこか外の世界にあるのではありません。
ずっと私たちの心の中にあって失われたことはなく、私たちが思い出すのを待っているのです。
私たちが選択するのを待っているのです。
叔父はいつも、私が小さい頃からずっと、呼びかけていたのです。
「幸せになろうよ」
ほんとうの自分を思い出したい。
みんなとのほんとうのつながりを思い出したい。
ほんとうの癒しを受け入れたい。
それは叔父自身の真の願いであり、A Course in Miraclesに出会ってさえいない子どもの頃からの、私自身の真の願いでもありました。
今、それがとてもよくわかります。
真に幸せになることをある意味、必死で拒んでいた私にとっては、叔父の呼びかけは面倒で、嫌なものでもありました。
それでも、ずっと呼びかけてくれていたこと、そして今も変わらず共にいて呼びかけてくれていることを、とても感謝しています。
ありがとうございます(˶ˊᵕˋ˵)
WINGS 波多野圭子