先日、書類の整理をしていて、私の加入している生命保険を見直す機会がありました。
私の生命保険は、保険の外交員だった母がほとんど加入手続きをしていて、実は私はよくわからないまま申し込んで、何年も支払いをしていました。
今ごろになってやっと、私がどんな保険に加入しているのかを、母が説明してくれることになりました。
「あなたはいつも、わからない、わからないと言っていたけど、、、」
と、母は少し悲しそうに説明を始めました。
私が真実を受けとる時が、やっときたのです。
**「わからない」のほんとうの意味**
「私にはわかりません。どうぞ教えてください」
A Couse in Miracles(以下「コース」)で教わっているように、私もよく、自分の見方を訂正してもらえるように、ホーリースピリットにお願いします。
でも、私が保険のことを「わからない」と無意識に母に言っていたのは、
「わかりたくない」ということだったな、と気づきました。
私は何を「わかりたくない」と思っていたのでしょう?
保険に加入することは、将来の不安や恐れに基づいているので、
「今」にいない感じがしていて、ずっと嫌だなぁと思っていました。
自分のことを弱く見られている感じもしました。
なんだかコースを学んでいる人っぽくない感じもするからです。
でも、私が間違っていました。完全に。
将来の不安、恐れ、弱さ、など、私が母のせいにして見ていたのは、
やっぱり私の心の中にある思いの投影です。
母がそれを持っているというよりは、私が持っている自分に対する暗い思いでした。
そもそも「今」にいなかったのは、私のほうなのです。
だから見たくないし、「わかりたくない」のです。
認めたくない、受け入れがたいことだったのです。
そして、その本当は存在しない、誤った思いたちを、祈りながら見ていると、、、
そこに隠されていたのは、もっと「わかりたくない」ことだったと気づきました。

**愛しかない**
4あなたは人や物に対して、実際に愛以外の何かを与えることはできないし、人や物から、実際に愛以外の何かを受け取ることもできない。
T-12.Ⅶ.9:4-5
5あなたがそれ以外の何かを受け取ったと思うなら、その理由は、あなたが内側を見て、自分自身の中にそれ以外の何かを与える力があると思ったからである。
『奇跡講座 上巻』/ 中央アート出版社
母に私の保険の説明をしてもらって、その選択、緻密な計算や配慮が
「本当に母らしいな」
と思えて、聞いていてうれしくなりました。
生命保険会社の外交員をしていた母は、愛の表現として、私を保険に加入させてくれていました。
私は母からの愛を受けとるのを拒むために、コースの教えを言い訳にしていました。
”コースで考えたら、これは「恐れ」になるから”
と言って、保険に加入すること、そして母を批判していたのです。
母を通して表現された愛をなんとしても受けとるまいとしていたのだと、今はわかります。
わかりたくなかったのです。
大切に思われていることを。
こんなにも愛されていることを。
ただ、愛を受けとるのを恐れていたのです。
自分も同じ愛であることを思い出さないでおくために、必死でした。
素直でありたいと思いました。
自分の判断を貼り付けて、その正しさを主張し続けるのではなく、
ただ、真実に対して心を開いて、静かに耳を澄ましていたいと思いました。
ありがとうございます(˶ˊᵕˋ˵)
WINGS 波多野圭子